〜〜人間の師範とすべき規は大自然であるとして『大自然に習うことこそ、神意に習うことであり、神意のままに進むことであり、それがカムナガラである。』〜〜

わたしは、神さまに祝詞をあげた最後に『惟神霊幸倍坐かむながらたまちはへませ』と二回お唱えしますが、意味は『ご神意のままに進ませていただきますので、霊的な幸せ、身魂の幸せをよろしくお願いします。』ということです。

この『霊的な幸せ、身魂の幸せ』ということは、必ずしも私たち人間が願った通り祈った通りの結果になるということではありません。

身魂磨きの浄化なども含めて、神様の目から見て『幸せにしてやろう』ということである以上、その愛の御心のままに進ませていただきますので、結果は神さまにお任せいたします。
というような受け止め方が大事だと思います。

かつて大本教の出口王仁三郎は、『己を無にすることも知らず、がむしゃらに知利を願っても無駄だ。神さまはその人の召使いじゃない。』と言われたそうです。

この『神さまを召使いにするな』ということは、別の言い方をすれば『神さまにおねだりばかり「請求書の祈り」をするな』ということでしょうか。

では、どんな状況に置かれても、お願いの祈りはダメなのかといいますと、そうではなく緊急事態であって、尚且つ正しい祈りは必ず叶うそうです。

しかし、日頃から『カムナガラ』
『神さまの御心のままに進ませていただきます』『ご神意のままに進ませていただきます』という謙虚な姿勢が大切なことなのでしょう。